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シリーズ日本の第二次世界大戦D 原爆投下と無条件降伏

タグ:第二次世界大戦 原爆  投稿:2018年08月15日
第二次世界大戦において、日本にとっても世界にとっても歴史的な大きな事柄となっている広島と長崎への原爆投下。
今回はこのことについて考えていきます。

現在における国際的な原爆投下の意味は、『アメリカが日本との戦争を終わらせるために原爆を落とした』というものが定説になっていますが、実態は全く違います。
本当の原爆投下の意味は、むしろその逆と言ってもいい状況だったのです。


以下、原爆投下の実態と第二次世界大戦終結の異常性について説明していきます。

当時の日本は、ポツダム宣言受諾の数ヶ月前(沖縄戦後)から降伏は時間の問題となっており、太平洋戦争の結果も硫黄島の戦い(1945年3月)で既に決していました。
実際に日本は、日中戦争・太平洋戦争の降伏に動き出しており、1945年の3月には中国で蒋介石との和平交渉に向けた具体的な行動を起こし、同年4月にはアメリカとの和平交渉を目指しソ連に仲介を頼んでいます。
そもそも原爆が投下される時期の日本は、1945年7月26日に発せられたポツダム宣言を受け入れるかどうか、政府内で日夜議論を交わしていたのです。

一方、この頃のアメリカは既に日本との戦争に興味はなく、その後の世界をめぐる覇権争いに目が向いていました。
その覇権争いに効果的だと考えたのが、日本への原爆投下です。
たった1つの爆弾で数万人が死に絶える原爆の投下ほど、他の国への威嚇になるものはないでしょう。
アメリカが原爆の実験に初めて成功したのが1945年7月16日で、実際に投下したのが同年8月6日(広島)、8月9日(長崎)という事実を考えると、当時のアメリカが慌てて原爆を投下をした実態が伺えます。
つまり原爆投下とは、戦争を終わらすためではなく、戦争が終わりそうだから急いで投下したわけです。

そもそも通常爆弾でも東京大空襲はおよそ10万人と原爆に匹敵するの死者数を出しているわけで、戦果だけを考えれば原爆投下にこだわる必要はありませんでした。
しかし当時のアメリカには、他国の威嚇と共に、原爆及び放射能の人体への影響を実験したいとの思惑もあったようです。
なにせ人類が1度も経験したことがない放射能の大規模散布になるので、研究者が調査したかったことは確実であり、実際にアメリカの科学者が戦後に広島と長崎に趣き放射能の人体への影響を調査しています。
アメリカからすれば、ポツダム宣言受諾前の日本になら原爆を落としても大きな問題にならないと考えていた節があり、むしろ人が住む場所に原爆を落とすことが許される千載一遇のチャンスと捉えていたとも考えられます。
わざわざタイプの違う2つの原爆を使ったことも、原爆投下が実験的側面の強かった様子が伺えるのです。

以上のように、広島・長崎への原爆投下の目的は、第二次世界大戦後の国際社会における威嚇と原爆及び放射能に関わる実験であり、これが原爆投下の正体なのです。

このようなアメリカの都合により、20万を超す民間人が死に、放射能の後遺症は現在までも続いています。
そもそもアメリカは、イギリス・ソ連と1945年7月17日からポツダム会議を開き、戦争終結に向け具体的な話し合いを進めており、原爆投下があろうとなかろうと日本との戦争が終結することは周知の事実だったのです。(日本がソ連に和平交渉を頼んでいたこともアメリカは知っていた)


では、なぜ当時の日本は原爆を落とされるまで降伏をしなかったのでしょうか?
その原因は、第二次世界大戦の異常性を示す

無条件降伏

にあります。
第一次世界大戦は、停戦または休戦条約が結ばれ次第に終結していきました。
一方、第二次世界大戦で採用された降伏方法は無条件降伏です。
無条件ということは、降伏後に国民全員を殺そうが、強姦されようが、人体実験の道具にされようが、何をされるかはわからないわけで、そう簡単に受け入れることはできません。
そのため日本もドイツも凄惨な状況になるまで戦争を続けたのです。
そもそもこの無条件降伏はアメリカの南北戦争のときに使われたもので、戦争の歴史とまで称される人類の歴史の中でも、ほとんど例が無い戦争の終わり方となっています。
この特殊な戦争の終わり方にこだわったのが、第二次世界大戦期のアメリカ大統領であるフランクリン・ルーズベルトで、太平洋戦争においても開戦と同時にこの無条件降伏を唱えています。

ポツダム宣言は、上記で示したような完全な無条件降伏を望むものではなかったものの、ポツダム宣言発令当時の日本はアメリカとの和平交渉をソ連に仲介を依頼しており、状況が把握できなかったためすぐに受け入れられませんでした。
しかし、前記したとおり第二次世界大戦の終戦を見越したポツダム会談が既に開かれていることから考えても、日本が降伏するのが時間の問題であることは誰の目から見ても明らかだったのです。
このような状況で落とされた原爆は、戦争の終結を早めたとしても、その日数は数日程度でしかないでしょう。


以上のように、第二次世界大戦があそこまで凄惨な結果になった要因の1つに無条件降伏というものがあるのは確実です。
そして100万人規模の人を死傷(被爆)させた原爆の投下は、戦勝国の一方的な裁判であった東京裁判ですら大きく避難をされるほどで、第二次世界大戦時における最高レベルの悪行であったことは疑いようがありません。

それでは最後に、原爆投下に対するアメリカ側の有識者の意見として、フランクリン・ルーズベルトの前のアメリカ合衆国大統領ハーバート・フーヴァー第31代大統領と、アメリカ軍初の元帥であるウィリアム・リーヒ海軍元帥の言葉を紹介して当記事を締めたいと思います。

いかなる詭弁を用いようと、原爆投下の主目的が、戦闘員ではなく女子供老人などの非戦闘員の殺傷であったことを否定することはできない。
そもそもアメリカは日本を挑発しなければ決して真珠湾を攻撃されることはなかっただろう。
第31代アメリカ合衆国大統領 ハーバート・フーヴァー

日本上空の偵察で米軍は、日本に戦争継続能力がないことを知っていた。また天皇の地位保全さえ認めれば、実際原爆投下後もアメリカはそれを認めたのだが、日本は降伏する用意があることも知っていた。
だがトルーマン大統領はそれを知っていながら無視した。ソ連に和平仲介を日本が依頼したことも彼は無視した。
この野蛮な爆弾を日本に投下したことは、なんの意味を持たなかった。海上封鎖は十分な効果を挙げていた。
この新兵器を爆弾、と呼ぶことは誤りである。これは爆弾でもなければ爆発物でもない。
これは”毒物”である。
恐ろしい放射能による被害が、爆発による殺傷力をはるかに超えたものなのだ。
アメリカは原爆を投下したことで、中世の虐殺にまみれた暗黒時代の倫理基準を採用したことになる。
私はこのような戦い方を訓練されていないし、女子供を虐殺して戦争に勝ったということはできない!
アメリカ海軍元帥 ウィリアム・リーヒ

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